木曜日放送の「カンブリア宮殿」に、岡山県のパン屋おかやま工房社長で
パン職人である河上祐隆(かわかみつねたか)さんが出演されます。
焼き立てのパン屋さんって筆者も大好きでよく買いに行きますが、
メチャクチャこだわった天然酵母で無添加素材的なパン屋さんも好きですが、
昔ながらの惣菜パンの品揃えが良い大衆向けのパン屋さんも好きです。
札幌から車で一時間以上の僻地にあるパン屋さんに行列が出来ますので、
(↑のエグヴィヴという店は超特殊なケースですが・・・)
皆さんパンが大好きなんですねー。
筆者は若い頃に小売店とパン屋とデリが併設された中規模複合店舗で
働いていたことがありますので、パン屋の世界って身近に観てきました。
パン職人の仕事って朝も早いですし、拘束時間も長い立ち仕事で、
大きな小麦袋を運んだりでイメージよりも重労働ですので本当にその仕事が
好きな人じゃないと続かないんですよね。
番組では、
【無添加パン屋が急増中!
「5日で開業できる」驚きの手法】
と紹介されているのですが、物理的にそんな事が可能なのでしょうか?
筆者のイメージでは、料理人と同様に、長い時間の修業が必要な世界で
下積みを長く勤めてスキルを上げて独立!というイメージがあります。
もし継体化されたノウハウがあれば、筆者にもやる気とお金さえあれば
パン屋を開業できるという事ですよね(^^ゞ
お金が無いので無理ですが・・・
パン屋さんってきちんとやれば安定した売り上げが見込めますから、
脱サラした方や年配者のリタイア後の仕事として選択される方も
多そうですね。
詳細は番組中で語られると思いますので本放送で確認するとして、
当記事では河上祐隆さんの経歴や家族や年収、そして5日間の
コンサルからの開業金額がどのくらいか調べてみました。
それでは皆さんと一緒に確認していきましょう!!
河上祐隆さん 経歴・プロフィール
出展元:http://ovo.kyodo.co.jp/
名前 河上 祐隆(かわかみ つねたか)
生年 1962年(53歳or54歳)
出身 大阪府大阪市
今でこそパン職人として成功なさっている河上祐隆さんですが、
実は最初からパン職人を目指していたわけではないそうです。
将来は「動物病院」か「水産試験場」での仕事志望だったそうですが、
家庭の事情で大学進学をあきらめることとなり、パン職人の道を
選んだのは「飲食店だと食べることには困らないだろう」という
軽い気持ちだったそうです。
パン職人の道に進んだ河上さんですが、今後の人生を変えるほどの
大きな出会いを果たします。
大阪で勤めたパン屋で「パンの神様」として知られる存在だった恩師と
出会い、師のつくるパンが他の職人と同じ食材と配合なのに完全に
別物であることに衝撃と感銘を受けたそうです。
これまで、職人の「勘」の部分に寄りかかった作り方ではなく、
きちんとした理由と方法論で組み立てられていて、理系志望の
河上さんのスタイルに完全にマッチしたんでしょうね。
その一方で、心の部分も大切になさる師匠だったようです。
『パンを叩くな。イースト菌は生き物だから優しく扱いなさい。』
『生地の中に自分が入っているという気持ちで接しなさい。』
という商品ではなく、生きたパンだということを大切にされた
恩師の教えは今でも河上さんの中で大切に生きているそうですよ。
人生において本当に尊敬できる師匠に早い段階で出会えたのは
本当に幸運だったんでしょうね。
その後恩師のもとで濃密な時間を過ごし、20歳のときに2号店、
21歳で3号店の立ち上げを経て3店舗のマネージャーを務めたのちに
22歳で独立を考えたそうです。
しかしながら独立時に誰もがぶつかる資金繰りという大きな壁に、
独立をあきらめようとしたそうですが、恩師はなんと無条件で
開業資金の400万円を貸してくれ、1000万円の借金の保証人にまで
なってくれたそうです。
3店舗を任されていた腕利きのマネージャーが会社から去るというのは
会社にとっては計り知れないダメージになるはずですが、恩師の方は
とてつもなく大きな器をもった人だったんですね。
「この恩を絶対に忘れない」という気持ちが河上さんを現在の
開業支援に向かわせた原動力だったようです。
自分の店を持ってからも師から受けた恩を受け継いで、独立したいという
20代の若者を採用しては、数年で独立へ送り出すことを続けてきたそうです。
職人の世界では主要なポストの職人が独立すれば単純に戦力ダウンで
店の運営に支障をきたしますので、一般的には経営者は職人を
手離さないよう動きがちですよね。
それでも河上さんは師の教えを受け継いで経験を積んだ若者たちを
大勢送り出し続けたそうです。
やはりは想いは循環していくんですね。素晴らしい教えと考え方だと思います!!
河上祐隆さんの家族や年収は次のページでチェック!