東洋の魔女について

東洋の魔女と言えば、東京オリンピックの日本女子バレーチームのイメージが

強いかと思いますが、実は東京オリンピック以前から、日本女子チームは

「東洋の魔女」と呼ばれていたようです。

1961年からのヨーロッパ遠征で日紡貝塚女子バレーチームは22連勝を果たし、

その時にソ連からの外電で「東洋の台風」、「東洋のまほうつかい」と

形容していたため、そこから「東洋の魔女」という愛称が生まれました。

1962年の世界選手権でソ連を破って優勝し、満を持して出場した1964年の

東京オリンピックにおいて金メダルを獲得したのは皆様ご存知の通りです。

東京オリンピックでも、決勝戦でアメリカのテレビ局のアナウンサーが

「ザ・オリエンタル・ウィッチ!(東洋の魔女)」と連呼していたため、

より東洋の魔女の愛称が知れ渡ったとのことでした。

スポンサードリンク

東京オリンピック代表メンバー
河西昌枝、宮本恵美子、谷田絹子、半田百合子、松村好子、磯辺サタ、松村勝美、篠崎洋子、佐々木節子、藤本佑子(以上、日紡貝塚)、近藤雅子(倉紡倉敷)、渋木綾乃(ヤシカ)

決勝戦のソ連戦は66.8%というとんでもない視聴率を叩きだし、52年が経った

今でも破られていないそうです。

佐々木さんの現在の生活は?結婚して子供はいるの?

そんな佐々木さんですが、番組宣伝では

「71歳独身…3000坪の林の中であるものを拾って生活していた!」

とありますので、性も変わっていない事からご結婚なさっていないようです。

当時のトップクラスのアスリートであった佐々木さんのお子さまが

いらっしゃらないのも残念な気がしますね。

現在の生活についてはオンエアで紹介されると思いますので、

改めて見てみようと思います。

佐々木節子さん まとめ

戦後日本の復興期において、大きな活力となったオリンピックの金メダル。

それもあって、当時社会現象も巻き起こした女子バレー。

アタックNo1やサインはVもきっと女子バレーの絶大な人気から生み出された

番組かと思います。その後の日本バレー界においても後世に与えた影響は

計り知れませんね。

佐々木節子さんもいつまでも元気でいて頂きたいものですね。

最後まで記事をお読み頂きましてありがとうございました!!