小手伸也さん 結婚していて奥様や子供はいるの?

そんな小手伸也さんですが、結婚されているのか、お子さまはいるのか、

かなり調べてみましたが、奥様やお子さまに関する情報は全く

探せませんでした。(すみません)

42歳という年齢を考えたらご結婚されていても全くおかしくないですが、

舞台を中心に活動なさっていたので、マスコミに追われることも

少ないかと思いますので、情報が無くても当然といえば当然なのかも

しれません。

※続報がありましたらこちらは改めて追記させて頂きます。

塙団右衛門ってどんな人だったの?

真田丸の塙団右衛門のキャストを三谷幸喜さんが探していた時に、小手さんに

「ちょっと自意識過剰な方を探している」とオファーがあったそうです。

小手さんのアクの強い演技と、見た目のインパクトがオファーの理由だった

そうですよ。

小手さん曰く「青天の霹靂」だったそうですが、写真を見ると

いい感じのはまり役なように思います。

 

出展:http://headlines.yahoo.co.jp

 

小手さんのtwitterでは、今回の大河出演について

とツイートされています。

そんな塙団右衛門のことも少し調べてみましたよ。

「ばんだんえもん」の画像検索結果

塙直之(ばん なおゆき、1567年(永禄10年) – 1615年5月26日(元和元年4月29日))は、戦国時代~江戸時代初期の武士であり、戦国武将のひとり。
通称、塙団右衛門(ばん だんえもん)

詳細はwikipediaなどに譲るとして、

基本的に雑兵を置いて一騎掛けすることが好きらしく、集団戦の規律を

重んじる戦国時代においては扱いにくい将だったようです。

当時の上司であった、賤ヶ岳七本槍の一人で、大名の加藤嘉明は

「将の器にあらず」と評して放逐したそうです。

自身も槍一本で秀吉の下で成り上がって大名になった

加藤嘉明が槍働きを酷評するとはやはり素行に問題が

あったのかもしれませんね。

大坂城に入城して大坂の陣で夜襲を成功させて

「本夜襲の将は塙団右衛門成り」と木札を撒いたのも

「自己アピール」のためだけだったという専門家の

意見もあります。

「華々しく目立ちたがり」で武将としての武勇と才覚は持っていたと

思いますが、近代要塞としての機能を失った大坂城では基本的には

勝算ゼロだったと思います。夏の陣では手勢の殆どを置いたまま

ほぼ単騎で敵陣に突入して八面六臂の暴れっぷりを披露して、

そのまま討ち死にしたそうです。

近代の集団戦が主流の戦国時代において、「戦国無双」ばりの活躍は

後年の講談で人気となったのもうなづけます。

座して死を待つくらいならば、いち早く武士として華々しく散りたかった

思いが強かったのかもしれませんね。

ただ、酒癖が悪くて規律を守れないタイプで、自己顕示欲が強いので、

上司としては扱いにくい事この上ない武将だったようですね。

三国志で言うならば「張飛」のようなイメージでしょうか。

そんな塙団右衛門を三谷幸喜さんの脚本と、小手伸也さんの演技で

どんな魅力的なキャラクターとして表現されるか注目ですね!!

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小手伸也さん まとめ

ぱっと見たら忘れられない風貌と、独特の個性を感じる演技で

マルチな才能を見せられている小手伸也さん。

大河ドラマ出演によって、オファーが増えて地上波でみかける

機会も増えてくるかもしれませんね。

小手伸也さんの真田丸での演技にも期待しましょう。

最後まで記事を読んで下さって有難うございました。